「ペットボトルの水を見るだけでクスリを思い出す」 覚せい剤依存症患者の日常と治療

    薬物依存症は治らない。しかし、回復はできる。

    国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 松本俊彦・薬物依存研究部長に聞いた

    石戸 清原和博容疑者が逮捕されました。有名人の逮捕が報じられるたびに、覚せい剤に注目が集まります。でも、その人の変わった言動が取り上げられたり、栄光と転落を語るストーリーが目立ち、薬物依存症そのものについてはよくわかりません。

    松本さん 栄光と転落とか、本当に凡庸で、薬物依存の実態を捉えていないと思います。まず強調しておきたいことがあります。

    覚せい剤などの薬物依存症は病気だということです。治らない慢性疾患の病気です。薬物に手を出す前の状態に完全に戻ることができるかというと、できません

    ――えっ、治らないんですか!

    治らないというと、どきっとする方もいると思うのですが、回復はできます。

    高血圧とか糖尿病なんかと同じです。病気を発症する前の健康状態まで戻すのではなく、自分が抱えている病気と上手に付き合って症状を抑止していく。

    病気と付き合っていきながら、症状を抑止していく病気って少なくないんですよ。適切なサポートがあれば、上手に付き合って、社会復帰できる。これが大事なんです。

    「罰するだけでは治りません」

    ――驚きました。罰するだけではどうにもならないですね。

    病気ですからね。刑罰で回復するくらいなら、いくらでも罰すればいいですけど、そんなエビデンスはありません。

    覚せい剤依存症の患者がまた薬物に手を出すのは、出所直後、保護観察終了直後、釈放直後です。刑務所に入ったら、強い依存症の患者でも、欲求の自覚はありません。絶対に使えない環境なら諦めがつくんです。欲求を意識しないで一定期間すごすと、周囲も本人もすっかり治った気持ちになっている。

    そして、「これだけ我慢できたし、今度つかっても、前ほどひどくは使わない。せいぜい1年に1回くらいかな」と思って、また使っていくのです。

    例えばね、これ何に見えますか?

    ――ペットボトルの水ですよね。

    何か思いますか?

    ――いや別に…、水だとは思いますけど。

    依存症の患者に見せたら、これで覚せい剤欲求のスイッチが入ったって言いますよ。覚せい剤の粉を水に溶いて、注射器に入れて打ったことを想起するわけです。これで脳は快楽を思い出すんです。

    コンビニのトイレも同じ。よくクスリを打つときに使う場所だから、それで思い出す。

    覚せい剤にはまるメカニズム

    ――薬物依存症の患者は、すぐに思い出してしまうわけですか。

    覚せい剤の依存症って、簡単にいうと脳がクスリによる快楽でハイジャックされている状態なんです

    覚せい剤がどうやって心の隙間に入るかというと、誰でも褒められて嬉しい経験ってありますよね。

    ――はい。

    例えば、野球の練習を耐えて、注目される試合で結果を出して褒められる。人から認められたとき、頭の中にドーパミンがばーっとでて、快感や多幸感を味わう。

    勉強も同じですね。頑張って、いい成績をとってほめられる。それを味わいたくて、私たちは何かを頑張る。覚せい剤というのは打ったり、あぶって吸ったりするだけで、これと同じような効果を得られるものなんです。

    覚せい剤は脳の快感中枢に直接作用しますから、一度それが刻印されてしまうと、脳はこの快感を簡単に忘れないわけです。だからコントロールが難しいのです

    しかも、続けて使っていると、だんだんと効果は薄くなる。クスリを使って普通の状態になって、使わないと身体のパフォーマンスが落ちてくるんですね。

    はじめはクスリの効果で目が冴えていたけど、そのうち覚せい剤を打っても眠れるようにもなる。ハイになる効き目は長く続かず、逆に薬が抜けるときに苦痛、例えば、幻覚や幻聴といった症状がでてくる。

    今度は、苦痛を抑えるために、覚せい剤を打つ。そうやって、ますます抜けられなくなるわけです。

    覚せい剤 本当の怖さ

    ――本人が変わったという話もよく取り上げられますよね。

    そこが本当に薬物依存の怖いところなのですが、面白おかしく取り上げてられるだけでは、怖さが伝わらないんですよね。

    薬物依存が怖いのは、その人の本質が変わることなんです。

    みんな、大事なものがありますよね。家族、恋人、仕事、お金、趣味…。大事にしている価値観があると思うんです。

    薬物はこの順位を全部ひっくり返すんですよ。はまっていく人に共通しているのは、やはりなんらかしんどい経験があることです。ストレスだったり、痛みだったり。そこで、手をだす。

    まず覚せい剤が大事なもの第1位になって、あとは全部クスリに絡んだランキングになる。クスリを許してくれる恋人、クスリを手にいれるための仕事、クスリを買うためのお金…。

    だから、昔からその人を知っている人はこう思います。「あいつ、なんで変わってしまったの」。人の本質が変わるのだから、前を知っている人ほど、落差に驚くのです。

    そして、どんどんウソつきになります。

    クスリを使わないと自分を保てなくなるわけですから。クスリを使うにはお金も必要です。口下手だった人が、トーク上手になるなんてことはざらにあるんですよ。

    「依存症患者の言葉と涙は信じるな」ってよく言われます。

    本当に騙しているのは自分自身

    ――本人も苦しいものなんでしょうか。

    それは苦しいですよ。

    家族や友人にウソもつきますけど、本当に騙しているのは誰かというと、自分自身ですからね。

    これが最後の1本、これでもうやめる。それを何回も繰り返す。彼らも時々、不安になるんです。「あれ、俺って依存症になってないか」って。でも、安心したいから、もっとひどいクスリ仲間を見つけて「俺はまだ大丈夫だ」と思う。

    「気持ちで解決できるほど、甘い病気じゃない」

    ――厳しく罰したり、反省を促したり、本人の気持ちだけでは治らない。

    反省なんて、してもしなくてもいいから、治療のプログラムを受けてほしい

    だいたい、反省の有無は回復には関係ないんですよね。反省して生活が立ち直るなら、それでいいのですが、そういう調査結果はありません。逆に反省を強要すると、もっとウソつきになるんですよね。

    ――そうなんですか?

    刑務所にいれば、早く仮釈放されたいから簡単に反省するんです。

    本当は覚せい剤をやりたいのに「やりたくない」と言う。あるいは意志を強く持てば大丈夫だと思うようになる。「今度はやらないと決めました」とか「強い気持ちで断ちます」とか言うようになるんです。

    でも、気持ちで解決できるほど、依存症って甘くないんです。

    さっきのペットボトルの話を思い出してください。簡単に脳が忘れないんですよ。

    でも、彼らはうっかり「やりたい」と思ったら、周囲から「意志が弱い」「性格が弱い」って言われるのではないかと思っている。またクスリに手を出すと「意志」の問題だと片づけられる。

    そうするとね、意志を強くしようと思うわけですね。

    意志が強ければやめられる?「間違った考えです」

    ――意志が強ければやめられるものなのですか?

    意志が強ければやめられる。これは間違った考えですよ。

    ある患者は自分でトレーニングを始めたんですよ。目の前に粉末の覚せい剤をおいて、毎日3時間にらめっこをする。意志を強くするためにね。目の前にあっても、大丈夫な自分になりたいと思ったのですよ。

    患者は強さにとらわれている人が多いのです。まず強くないといけない、と。不器用なまでに強くで、頑固で、意地になりすぎて、周りが見えない。

    滝に打たれるとか、体を鍛えるとか、何かを達成して精神を鍛えればやめられると思っている人もいる。そんな人が多いです。

    治療プログラムのテキストも線をびっしり引いてくる患者もいるんですよ。ちゃんと真面目に読んで、直そうと思っている。これも強さを求めている。

    でもね、違うんです。病気は気合で回復するものではないのです。

    逮捕された患者は「ほっとした」

    ――薬物依存症は勘違いされていることがわかります。

    もっと、自分の弱さをさらけ出す受け皿が社会に必要なんですよ。

    「逮捕されたとき、どう思った」って患者さんに聞くと多くは「ほっとした」っていうんですよね。少なくとも、その瞬間は「やっとやめられる」と安心するんですよ。

    やりたいけど、やめたい。みんな、その間で常に揺れ動いてます。

    ――意志の弱い自分に嫌気がさして自暴自棄、またクスリというパターンもありそうですね。

    だから、欲求があるっていうのを認めるところから始める必要があるんですよ。

    「やめられない、とまらない」病気なのだから、もっと素直に「やりたい」って言わないといけない。

    自分にウソをついてはいけないのです。

    「(クスリ)をやりたい」「使った」と言っていい

    ――松本さんの治療プログラム「SMARPP(スマープ)」は集団でやるんですよね。

    15人とか20人。男女混成で、いろんな依存症の患者を集めて、みんなで話し合うんですよ。欲求のスイッチがどこで入ったとか、まず実体験を出し合ってもらいます。

    お金を出して医者の説教を聞きにくる人もいないので、楽しくリラックスした雰囲気でやります。コーヒーとかお茶菓子も用意してね。和気藹々と意見を出してもらう。

    治療プログラムって単発で終わらせないで、長く参加できるような状況を作っておかないと、全然効果ないんです。

    ――松本さんのプログラムでは素直にやりたいって言っていいんですか。

    もちろん。彼らは「やりたい」と言っている間はやらないものです。欲求を自覚して、コントロールできている証拠なんですね

    覚せい剤を使っていたダルク(薬物依存症患者、家族の回復支援団体)のスタッフなんかもね、白い粉末、もちろん、覚せい剤ではありませんよ、それをみるだけで「先生、また欲求はいった」とか普通に言います。

    これが治療の第一歩なんです。

    もっと言うとね「今朝、クスリをやってしまった」と告白したら、それは賞賛の対象ですよ。よくぞ、言ったと。

    私は「素晴らしい。ちゃんと言ってくれてありがとう」とお礼もいいます。

    全力で正直になることを肯定します。彼らは本当なら3日くらい部屋にこもって、クスリを使いたいと思っているはずですよ。それを途中でやめてくるわけですよ。

    正直に言うのは、「使ったけど、このままじゃいけない」という気持ちのあらわれなんですよね。そこを肯定しないと回復できるわけがない。

    「私たちは警察に通報しません」

    ――「使った」と言っていいんですか。

    いいですよ。さっき、優先度が変わるという話をしましたね。クスリを使ってもいいから、安心して使ったといえる場所を作ることが大事なのですよ。

    薬物で人生がめちゃくちゃになっているのに、まず生きて、病院までやってきたということを肯定したいですね。

    ――でも、犯罪ですよね。医師が知ったら警察に通報するって思いますけど…。

    まず、覚せい剤に関して、そもそも医師に警察への通報義務はありません。

    医師として患者の治療、守秘義務を優先してもいいのです。医師が公務員の場合であっても、医師としての裁量によって治療、守秘義務を優先させることは許容されるという考えに立ちます。だから、通報することもありません。

    ――それは知りませんでした。

    これって医師でも知らない人がいるんです。特に正義感が強いタイプです。

    私たちも刑務所内での治療プログラムを作っていますが、薬物依存の患者は刑務所では回復しません。大事なのは出所した後にどうケアし、治療をすすめるかなのですが、医師でも誤解している人がいる。

    覚せい剤依存症の患者は、どこの病院も診察したがらないという現実があるんです。

    「治療の中で、再発は織り込み済みです」

    ――しかし、やりたいことを認めると、何回も繰り返しそうな気がします。

    仮に治療プログラムを受けたとしても、彼らが安定した断薬生活を送るには、だいたい7〜8回の再発機会があるというデータがあります。

    クスリが欲しくてしょうがない、あるいは使ってしまう機会が平均して7〜8回はあるということです。安定と、再発するかもしれない時期の波を繰り返しながら、だんだんと落ち着きを取り戻すのです。

    ――そんなに波があるんですか。

    薬物依存症治療のなかで、再発するのは織り込み済みだということなんですよ。

    でも、繰り返しても回復することはできる。再発してもいい、またやりたくなっていい。簡単ではないけど、プログラムを受けて治療するなかで回復してきます。

    まず、身体が回復します。次は脳、その次に心が回復してきます。

    心が回復すると、周囲が見えてくるようになります。クスリを使っている間は、周りが見えなくなっていますから。それに伴って、周囲の信頼が少しずつ回復していきます。

    治療プログラムを受けることのメリットなんです。プログラムを受けたほうが逮捕回数も減り、生涯賃金も多くなるという調査結果もあります。

    社会につながっているということが大事なんですね。

    欲求をコントロールする

    ――欲求が入ったらどうするんですか

    そのときは、気持ちを切り替えることが大事なんですよ。例えば、顔をぺしっと叩くとか、誰かに電話をかけるとか。

    ――そんなことでいいんですか。

    そんなことでいいんです。水でスイッチが入るなら、水を飲まずにコーラを飲むとか、お茶を飲むとかね。

    私たちだって同じなんです。例えば、夜中にラーメン食べたくなるときありますよね。

    そのときどうします? 食べたら太りますよし、なんか手はずを考えますよね。歯を磨いて寝ようとか、別のものを飲んで気を紛らわそうとか。それと同じように、切り替えればいいんです。

    「強くなるより賢くなろう」

    ――夜中のラーメンを我慢できないときがあります。

    そうですよね。でも、切り替えようって思うことが大事なんです。

    私たちの治療プログラムの合言葉は「強くなるより、賢くなろう」です。

    危ない場所には近寄らない。目の前に置かれるような状況を作らない。ラーメンなら、食べない状況を作る。

    そのために自分がどういう欲をもっているかを自覚して、避けるようにする。避けられなかったら、欲求を認識して気持ちを切り替える。切り替えもトレーニングすればできます。

    ――そうすると、そもそも罰すればいいとか、患者を隔離しておけばいいという発想自体が変わらないと問題は解決しませんね

    隔離なんていつまでもできませんし、そもそも、病気なので刑事司法には馴染みにくいとも言えます。

    欧米の調査では、薬物の自己使用犯は刑務所に入れるよりも、社会のなかで治療プログラムを受けさせたほうが回復のために効果的だというエビデンスがあって、これが関係者の間で常識になっています。

    「ダメ。ゼッタイ。」で排除される子供

    あと「ダメ。ゼッタイ。」とか「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか」といった標語がありますよね。

    この標語がとても力を持っていって、日本はある意味成功しています。覚せい剤に手を出す人は少ないですからね。

    でも、そんな社会で手を出した人は多くの人たちから「ダメな人」「おかしな人」扱いされて、排除されていくわけですね。治療からも排除されている。

    少年院で、薬物を使った子供たちと話すことがあるんですよ。通ってた中学校で、薬物乱用防止の講演があったかと聞くと、警察の人がきてやったといいます。

    「どう思った?」と聞いたら、彼の父親がちょうど覚せい剤で逮捕されたときに重なっていたと言います。講演を聞いた彼はこう思ったそうです。

    「あぁ、俺の父親は人間じゃないんだ。人間じゃないやつの子供は人間にはなれないな」。その後、彼は自分から悪いグループに接近して、覚せい剤に手を出すんですね。

    こうやって追い詰められる、リスクが高い子供は少数だけど確実にいるのです。本当は彼らにこそ、覚せい剤に手を出さないようにするメッセージを届けないといけないでしょ。それも、彼らがわかる言葉でね。

    依存症は「人に依存しない病」

    ――大事なのは個人で解決するのではなく、つながりで解決することなのだと思いました。

    依存症の患者って、実は「人に依存しない病」なんです。

    人は誰しも何かに頼って生きています。依存しない人なんていない頼るのが、家族、仕事、肩書きという人もいるかもしれない。他の人に頼ることだってあるでしょう。

    彼らはそれを、クスリとかアルコールだけで解決しようとする。どこかで、社会とつながりを持つことが回復の第一歩です。

    スポーツ選手だって、専属のトレーナーをつけて体をケアしていますよね。治療プログラムも同じです。セルフケアが大事なんです。

    プログラムを通じて、少なくともクスリで失ったものを回復することはできます。繰り返しますが、失敗も再発も織り込み済みです。健康な依存先を少しずつ、増やすことで、徐々にコントロールする術を身につけていくんです。

    薬物依存症の患者も家族も支援者も決して、一人ではない、もっともっと人を頼っていいのだ、と強調したいと思います。