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鳩山邦夫代議士の思い出「おれはこの政党(民主党)嫌になった」「やまと新聞」論説委員長 前都議会議員 土屋たかゆき

鳩山邦夫代議士の思い出「おれはこの政党(民主党)嫌になった」

「やまと新聞」論説委員長 前都議会議員 土屋たかゆき

 

平成8年の秋、民主党東京都連大会の席上、立ち話で「土屋君、板橋区から都議会議員選挙に出ないか」と言われ即時に了解してから、民主党内の最大の理解者として側面から支援をしてもらった。

 

石原知事誕生の都知事選挙に鳩山さんは民主党推薦で立候補した。これには裏があって、党内左派が何かとうるさい邦夫さんを知事に担ぎ上げようとしたのだ。

国会にいては困るのだ。

だから、邦夫さんを囲んでの会合の後、邦夫さんが帰ってから「あの性格」「自民党の気風が抜けていない」「適当にやっておけばいい」と旧社会党の都議団は言っていた。

これはいかにもひどい話で、邦夫さんに「先生が帰った後に、○○都議をはじめとしてこんなことを言っていました。この選挙(都知事選挙)は止めた方が良いです」と進言した。

 

ところが、「土屋君、おれはこの政党は嫌になったのだ」と言う。

「代議士、10億を超える資金を出していて、気に入らないのなら旧社会党が辞めればいい話で、代議士がこのようなことで辞めるのは我慢できません」と言ったが、「おれは嫌なんだ」と一点張りだった。

 

都知事選挙はだから、最初から勝てるわけもなく、「鳩山邦夫処分」の選挙だった。

同じように、松沢さん(元神奈川県知事)も、上田さん(埼玉県知事)も「(党内とは)文化が違う」「俺は辞める」と言って民主党からいなくなった。

 

民主党が左旋回して、菅直人の専横を許すようになったのは、党内保守派の離脱が多いことによる。鳩山邦夫さんの訃報を聞いて、「そう言えば」と一番にこのことを思い出した。

自民党に復帰してからも大臣を歴任しているが、「民主党などに寄り道をしていなければ」総理総裁になれた逸材だった。天才、秀才で東大法学部を首席で卒業した。

 

運転手に聞くと「由紀夫さんは降りるまで小言」を言い続けるそうだ。「邦夫さんは時には彼女の話をして‘指導‘までしてくれた」と言っている。

 

もう一つの思い出は、「ドックラン」協会を作ってドックランの普及に尽くしたことだ。ある時「土屋君。首が痛くて仕方がない」と言う。

「代議士どうしたのですか」と聞いたら、愛犬を抱っこして寝てしまい、変な形だったが「起こすとかわいそうなのでそのまま寝ていたら、首を痛くした」と笑っていた。

 

少しも偉そうにすることなく、演説など全力でやっていた。

人間的にも立派な人だった。ご冥福をお祈りしたい。